に四つの選択肢の中から
第四希望ではまってしまったのでしかたなくうけに行きました。
その前の2コマ連続の必修は先生が大変天然な方だったのでそれなりにおもしろかったですw
ただちょっと眠かったかも;;;;;
で、そのメディア・リテラシー序論ですが、先生の言い回しがちょと気に入らなかったですね;;(何様;;;;;
いや、情報は嘘や間違いの可能性がある、だからそれを見分ける能力を持つべきである。
この意見には賛成なんです。
しかし、その説明をするときの言い回しが、なんだか「私の言うことを信じていればだまされることはない」的な言い方だったものですから、ちょっと反感を;;;;;
正しい判断をするためには正しい知識が必要です。ですが、その正しい知識は嘘か真実かわからない情報の山から探しださなければなりません。ですが、最初の根本的な部分からすべての知識を情報の山から摂取することは非常に危険です。ですから、親や学校の先生などが、一般的に正しいと言われる知識を提供するわけです。その過程で子供は外からも少しづつ情報を摂取するようになり、そのうち家族・先生などの意見もすべてが「正しい」とは限らないということき気づき始めます。
「間違っている」わけではない。しかし「正しい」ともいえない。世の中にはそんなことがたくさんあります。それはそれぞれの知識だけでなく、経験、思想などや情報のソースなどによって左右され、一番近いといえる家族間であっても差がでてきます。
それをこの科目の先生はその曖昧な部分という一番重要なものを教える立ち場にいながら、自分自身の知識のことはなにも言わないどころか、まるですべて正しいかのような言い回しをしました。
確かに教えてもらう立場として、先生に曖昧な言い方をされるのは不安になります。ですが、それは計算の方法などの一般的な知識の場合であって、この分野の説明をする立場としては、自分の知識も正しいとは必ずしも言えない、という立場を持つべきだと思うんです。先生もまた、どこからか情報を仕入れた上で「この話はおかしい」とか、「これは正しい」とか、自分で吟味して判断しているはずです。この授業の本質をわかったわけではないので、こう断言するのも問題かもしれませんが、われわれは「この話は間違いだった」とか「これは本当の話ですよ」とかが知りたいのではなく、いかにして情報を幅広く仕入れ、いかにしてそれを吟味するのか、ということです。ただ「疑え」や「信じろ」では序行にはならないと思います。
その先生は自分のHPに書き込みをしてくれたらうれしいとか、3、4年生の人までもがわざわざ自分の講義を聴きに着てくれる、と誇らしげに語っていましたが、そんなことよりももっと語るべきことがあると思います。
大事なのは無駄な先入観や固定観念を持たせないことだと思います。
なーんてことを1回目の授業から思ってしまいました;;;;;
ちょっとその、先が不安に;;;;
テストなしのレポート制(出席だけで可がとれる)なので、余計にもう。。。orz
大学生としてはうれしいですが、一個人おしては嫌ですね;;;;
またべらべら話してしまった;;;
ではコメ返しですw
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